創造性を育むゲームデザイン

子どもの頃からずっと、私はひそかに、ゲームデザインのある一人の人物を研究し、憧れ続けてきました。任天堂の宮本茂さんです。私自身のゲームデザインへの向き合い方は、彼が自らのゲームに込めた哲学から、計り知れないほど大きな影響を受けています。
宮本さんの名前をはじめて知ったのは、六歳くらいの頃、ゲームボーイで『ポケットモンスター 赤』を遊んでいたときのことです。ゲームの中で、彼はいつも一歩先を行く永遠のライバルとして現れました。私はヒトカゲを選び、彼はゼニガメを選びました。やがて私は、彼のデザイン哲学が形づくった世界の数々を旅していきました。ポケモン、スーパーマリオ、ドンキーコング、そしてその先へと。集められるかぎりのポケモンを集めて育て、あの懐かしい通信ケーブルで友だちと交換したり対戦したりしました。マリオが2Dで跳ねようと3Dで跳ねようと、私はキノコを食べ、何度も死んでは生き返り、ピーチ姫を助け続けました。ドンキーコングでは、爬虫類のような敵に樽を投げつけ、トロッコでジャングルを駆け抜け、心ゆくまでバナナをむさぼりました。
人里離れた山あいの村で育った私にとって、学校が嫌いになっていくことと、任天堂のゲームへの愛が深まっていくことは、ちょうど反比例するような関係にありました。祖父母や両親がりんご畑で汗を流している間、私は森に覆われた山で遊んでいました。不思議なことに、宮本さんのゲームには、それとよく似た、果てのない探索の精神が流れていました。私の心に響く、「自然の中で遊ぶ」ような感覚です。
大人になって、私を夢中にさせたそれらのゲームのすべてに、たった一人の人物が関わっていたと知ったときには、大きな衝撃を受けました。さらに、ポケモンの主人公とライバルである「サトシ」と「シゲル」が、実在の人物にちなんで名づけられていたことも知りました。この事実をきっかけに、私は任天堂の歴史を掘り下げていき、「社長が訊く」のインタビューから、ほぼ日刊イトイ新聞のコラムまで、あらゆるものを貪るように読みました。子どもの頃の自分の体験を、この膨大な情報と結びつけていくと、数えきれないほどの気づきが次々と生まれました。
宮本さんのゲームデザインをほかと分けている多くの要素のなかでも、一つはっきりと際立っているものがあると私は考えています。彼は創造性をうまく引き出すのです。彼のゲームを遊んでいると、私は本当に「遊んでいる」と感じられます。彼のゲームは、私にとって、自由に試し、新しいアイデアを実験し、好奇心を満たすためのシミュレーターになりました。それに対して、私がこれまで遊んできた他の多くのゲームは、絶えず「遊ばされている」という感覚を私に抱かせました。あらかじめ決められた手順に厳格に従うことでしか、先へ進めないかのように。まるで、誰か他人の都合が私に押しつけられているようで、それは、先生が子どもに、本当は興味のないことを無理やりやらせるさまを思い起こさせました。子どもだった私は、自分の関心よりも大人の都合を優先する仕組みが大嫌いでした。私は今も、創造性を殺すようなゲームデザインを拒み続けています。その思いは、今も変わっていません。
その本質において、ゲームはシミュレーターです。学校とよく似ています。創造性を育むゲームデザインは、プレイヤーの想像力を存分に花開かせます。その仮想の環境で何千時間も、いや何万時間も過ごすのなら、それは理想を言えば、創造性を抑え込むのではなく、何倍にも増やすものであってほしいのです。こうして高められた創造性がもたらす恵みは、まぎれもないかたちで現実の生活にまで広がっていきます。
他の国々が教育政策をどのように組み立てているのか、その細部までを知っていると言うつもりはありません。けれども、日本については、そのあり方がしばしば「創造性を殺すゲームデザイン」のように感じられる、とは言えます。あまりにも多くの子どもたちが、学校で、本来そなえていた創造性を失っていきます。数えきれない課題を解決するために道具を発明し、使いこなすことで進歩してきた人類にとって、創造性を失うことは、絶滅への道を歩むことにひとしいのです。
客観的に見て、日本の人口はすでに、年におよそ百万人という速さで減り続けています。どう取り繕おうと、これはある意味で、進行中の絶滅にほかなりません。社会のあちこちで、私たちは、自ら生み出している問題の速さに追いつくだけの解決策を、いまだ持てずにいます。問題については際限なく議論するのに、それを解決することはめったにありません。何か新しいものが現れるたびに、まず規制するか禁止するか、というのが決まりきった反応です。こうしたパターンは、創造性の不足から生まれています。資源をうまく活かし、それをどう広げていくかを考える代わりに、私たちは続編や模倣に頼ってしまいます。誰一人あえて革新に挑もうとしない社会が不健全であることは、明らかです。この創造性の欠乏は、「創造性を殺すゲームデザイン」に根ざしています。しかし、創造性がデザインによって抑え込めるのなら、デザインによって解き放つこともできるはずです。
私は、モバイルアプリの限りない可能性を信じています。こうしたアプリが持つ「携帯できる」という性質は、私の目には、未来的で、ほとんど宇宙的とも言える技術の予感をはらんでいるように映ります。だからこそ私は BrainDojo を開発しています。「より少ない労力で、より多くの力を身につける」ことを目指して設計したゲームです。そのコンテンツを絶えず更新し続け、人生を本当に変えるようなモバイル体験へと育てていきたいと考えています。
私の大きな目標の一つは、認知機能の低下によって引き起こされるさまざまな社会的課題の解決に、少しでも力を貸すことです。研究によれば、簡単な計算や手書き、さらには音読といった活動を一日に数分行うだけでも、頭を冴えた状態に保つ助けになるとされています。これらの活動は、高齢者の認知症の予防、発達の特性にともなう困難の軽減、ストレスの緩和、睡眠の質の向上、そして子どもの健やかな脳の発達の後押しと結びつけられてきました。数多くの研究が、同じ方向を指し示しています。
小さくて素朴な習慣が、大きくて複雑な問題を未然に防いでくれることがあります。千里の道も一歩から、です。そして「より少ない労力で、より多くの力を身につける」という特長は、創造性を育むゲームデザインによってしか実現できません。禅の考え方に触発され、私は日々の決まりきった営みを、心を引きつける、喜びに満ちた「修行」へと変えていきたいと思っています。BrainDojo が、その方向への足がかりになれたらうれしいです。私にとっても、あなたにとっても、そして遊ぶというシンプルな行いを通して自らの創造性を育もうとするすべての人にとっても。BrainDojo は、あなたの潜在能力を解き放つための「てこ」なのです。
BrainDojo を試してみたい方は、App Store からダウンロードできます。