なぞり書きの効果と、なぞりを卒業する時期

1988年の「教育心理学研究」に、小野瀬雅人さんの「なぞり及び視写練習の組合わせが幼児・児童の書字技能に及ぼす効果」という論文が載っています。お手本をなぞる練習と、お手本を見て横に書き写す練習(視写)を、どう組み合わせると字が上手に書けるようになるかを調べた研究です。
ひらがなの練習帳の多くは、薄い字をなぞるところから始まります。なぞり書きばかりで、自分で書けるようになるのだろうか。そう心配になる保護者の方もいると思います。この記事では、なぞり書きで身につくことと、身につきにくいことを研究をもとに整理し、そのうえで、なぞりを卒業する目安について私の考えを書きます。
なぞりと視写を比べた研究
小野瀬さんの研究は、二つの実験でできています。
一つめの実験では、小学1年生178人を5つのグループに分けました。3日間なぞるだけのグループ、3日間見て書き写すだけのグループ、1日目になぞって2日目と3日目に書き写すグループ、1日目と2日目に書き写して3日目になぞるグループ、そして練習をしないグループです。練習には、画数の少ないいくつかの漢字が使われています。
結果は、なぞってから書き写すグループが、いちばん字が上手になりました。ただし、これは入学から半年以上たち、学校で字を書く練習を続けてきた1年生での結果です。
二つめの実験では、5歳と6歳の幼児63人で同じように比べました。こちらでは、なぞってから書き写す練習は、書き写すだけの練習と比べて効果が変わりませんでした。
私はこの結果を、なぞりそのものに意味がないということではなく、なぞりは次の段階につなげたときに生きる、という意味に読んでいます。なぞって線の動きを知り、そのあとお手本を見ながら自分で書く。この順番が、ある程度字を書き慣れたこどもには効いたということだと思います。幼児で差が出なかった理由は、論文の要旨からは分かりません。
なぞり書きで身につくこと
私は、なぞり書きで身につくのは次の三つだと考えています。
- 書き順。 どの線から、どちらへ向かって書くか。お手本の上を通ることで、順番と向きが手の動きとして入ります。
- 線の形。 まっすぐか、曲がるか、どこで折れるか、はらうか。目で見るだけでは分かりにくい線の動きを、手でたどれます。
- 字のおおよその大きさと位置。 お手本の範囲の中に書くので、字の大きさが極端に崩れません。
はじめて字を書くこどもにとって、何もない紙に一から字を書くのは、思っている以上に難しいことです。なぞり書きは、そこまでの段差を低くしてくれる練習だと思います。
なぞりだけでは身につきにくいこと
一方で、なぞっている間は、お手本が線の位置を決めてくれています。どこから書き始めるか、線をどこまで伸ばすか、ほかの線とどう釣り合わせるか。こうした「形を自分で組み立てる」部分は、なぞりではお手本に任せたままです。
脳の働きを調べた研究もあります。James と Engelhardt の2012年の研究では、4歳から5歳のこども15人が、文字を何もない枠に自分で書く、点線の文字をなぞる、キーボードで打つ、の三つのやり方で文字を練習しました。そのあと文字を見ているときの脳の働きを調べると、読むことに関わる脳の領域の働きがはっきり見られたのは、自分で書いて練習した文字だけでした。なぞった文字とキーボードで打った文字では、そうした働きは見られませんでした。
人数の少ない研究で、これだけで結論は出せません。ただ、自分で形を組み立てながら書くことには、なぞりとは違う働きがある、ということは言えそうです。
三つの段階で進める
私は、なぞりから自分で書くまでを、次の三つの段階で考えるのがよいと思っています。
- なぞる。 書き順と線の動きを知る段階です。
- 見て書く。 お手本を横に置いて、何もないところに書き写します。形を自分で組み立てる最初の段階です。
- 見ないで書く。 字の名前や音だけを聞いて、思い出して書きます。
小野瀬さんの研究でいちばん効果があったのは、1から2へ進む組み合わせでした。なぞりをいつまでも続けるより、なぞったら見て書く、というように、同じ日の中でも次の段階を混ぜていくのがよいと思います。
なぞりを卒業する目安
卒業の時期は、年齢よりも、一字ごとの様子で決めるのがよいと考えています。私が目安にするのは次のようなことです。
- お手本より先に手が動く。 次の線がどこから始まるかを、お手本が出る前に分かっている。
- 書き順を口で言える。 「横、縦、はらい」のように、順番を言葉にできる。
- なぞった線がお手本から大きく外れない。 手の動きが、線の形についてこられている。
こうした様子が見えた字から、見て書く段階に移ります。全部の字を一度に卒業する必要はありません。書き慣れた字は見て書き、新しい字や苦手な字はなぞりに戻る。卒業は一字ずつでよいと思います。
見て書く段階で形が崩れても、なぞりに逆戻りしたわけではありません。形を自分で組み立て始めたからこそ崩れるのだと思います。崩れた字は、お手本と並べて、どの線の位置が違うかを一緒に見るのがよいと考えています。
紙となぞりアプリの違い
なぞりは、紙の練習帳でもアプリでもできます。私は、それぞれに役割があると考えています。
紙のよさは、鉛筆を持ち、紙の上で線を引く感覚そのものを練習できることです。学校で書くのは紙なので、最後は紙で書けることが目標になります。鉛筆の持ち方については鉛筆の持ち方の教え方に書かれています。
アプリのよさは、お手本が書き順どおりに動くことと、何度でも消して書き直せることです。紙の練習帳では、薄い字のどこから書き始めるかは自分で読み取るしかありません。アプリならお手本の線が伸びていく向きで、書き順がそのまま見えます。
書き順と線の動きを知るのはアプリで、見て書く練習と、筆記具を使う練習は紙で。私はこの分け方がよいと思っています。
かきカタでなぞりの段階を変える
かきカタは、ひらがなとカタカナの書き順を練習できる iPhone・iPad 向けのアプリです。字を選ぶと、お手本の線が書き順どおりに一画ずつ伸びていきます。指やペンで1画書いて離すと次の画のお手本が出て、前の画のお手本は消えます。最後まで書くとお手本は消え、自分の字だけが残ります。採点や正誤の判定はありません。
前の画のお手本が消えていくので、2画目からは、自分が書いた線を見ながら次の線を書くことになります。すべての線を最後までお手本がなぞってくれるわけではありません。書き終えて残るのは自分の字なので、「やりなおし」のボタンでお手本をもう一度動かして、自分の字と見比べることもできます。
卒業に向けては、練習画面の「大」「中」「小」のボタンと、十字の補助線を段階として使えます。はじめは「大」で補助線を出し、慣れてきたら「中」へ、仕上げは「小」で補助線なし。小さく書くほど、紙のノートに書く感覚に近づきます。この使い方はかきカタ活用のヒントにも書いています。そこまでできた字は、紙に見て書く段階に進むのがよいと思います。
収録しているのは、ひらがなとカタカナの清音・濁音・半濁音の142字です。拗音(きゃ など)や小さい「っ」は入っていません。画面にマス目の枠はなく、大・中・小で変わるのはお手本の字の大きさです。スピーカーのボタンを押すと、その字の読みが流れます。1,500円の買い切りで、広告やアプリ内課金はありません。iPhone では横向きで使います。
書き順を間違えやすい字はひらがなの書き順で間違えやすい字とカタカナの書き順で間違えやすい字に、教える順番はひらがなを教える順番にまとめています。使い方はかきカタの始め方でご紹介しています。
